畑を耕す
最近、新しいことに挑戦しながら、ふと「これって畑を耕して作物を育てる作業に似ているな」と感じることがあります。
何かを始めるとき、私たちは成果を求めがちです。けれど、どれほど望んだところで、私たちが直接成果そのものを生み出すことはできません。作物を手で引っ張ったり「育て〜!」と念を送っても大きくできないのと同じように。できるのは、土を耕し、雑草を抜き、水をやり、日当たりの良い環境を整えることだけです。豊かな作物が実るかどうかは、天候やタイミングといったコントロールできない環境に大きく左右されます。
どれだけ手をかけても凶作に終わることもあれば、運よく豊作に恵まれることもある。それでも、こう思うのです。たとえ挑戦が思うようにいかず、作物が得られなかったとしても、耕した農地と作物づくりのノウハウは確実に残る、と。この環境ではどう育てるべきか、ダメになりかけたときにどう対応するか。そうした試行錯誤のプロセスは、泥にまみれて手を動かした人にしか残らない財産です。恐れるべきは、無駄になるかもしれないと立ち止まってしまうこと。固く締まった地面のままでは、種を蒔くことすらできません。
最近は効率や最短経路ばかりを追い求め、無駄を嫌う人が多いようです。AIの進歩と普及が進む近頃では社会的な圧力にさえなっていると感じます。けれど、寄り道をしたっていいのではないでしょうか。成果から逆算し、必要十分な種を蒔き、戦略的に耕作する。そうではなく、自由気ままに種を蒔き、御天道様に祈りながら牧歌的な耕作を楽しむ。そういった経験はレジリエンスというかロバストネスというか、環境がどうなろうとやっていける力と自信を培ってくれると思います。
そうはいっても、成果を焦るあまり様々な不安に苛まれて、身動きが取れなくなってしまう自分がいる。それでも、ただ自分の畑を耕し続けたい。そんなことを考える今日この頃です。