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ガキが如く

「こめ炊く しゃけ焼く」 「しごおわ」「ねる」

歳を重ねるごとに、私のSNS上の投稿はますます「小学生の日記」と化しています。昔は社会情勢への考察などそれっぽいことを呟こうと背伸びしていた時期もありました。しかし年齢が上がるにつれて、プライドという名の余計な水分が抜け、いまや完全に中身が幼児退行しています。ですが、ここで一歩立ち止まって考えてみたいのです。大人になるというのは、実はこういうこと――つまり「自分の幼稚さを隠さなくなること」なのではないでしょうか。

世間を見渡すと、自分は理性的で客観的で、良識のある大人だと思い込んでいる人があまりにも多いです。しかし、人間は本来そんなに上等な生き物ではないはずです。お腹が空けば機嫌が悪くなり、寝不足なら判断力が鈍り、プライドを傷つけられれば子供のようにムキになります。それなのに「自分は大人だ」と思い込むのは一種の傲慢ですし、自分の幼稚さに蓋をして「私は正しいが相手は間違っている」と理屈をこねくり回す原因にすらなります。大人が理性の仮面を被って通そうとするワガママのほうが、子供の駄々こねよりもよっぽどややこしいものです。

だったら、「私は分別のある大人です」という自覚は捨ててしまい、「中身は子供だ」と居直るほうがよほど健全ではないでしょうか。自分がガキのままだと自覚していれば、感情的になったときにも「あ、今自分は駄々をこねているな」と一歩引いてメタ認知できます。SNSの投稿だって、「どうせ中身はガキだし」と肩の力が抜けて、ただの愛おしい日常に戻っていきます。他人の理不尽な行動に対しても、「まあ、向こうも身体がデカいだけのガキだしな」と苦笑いで流せるようになります。

歳を重ねるということは、立派な人間になることではありません。どこまでいっても「身体が大きくなっただけのガキ」であるという事実に降伏し、それを受け入れていくプロセスなのです。だから私は、これからもSNSに「ラーメンうまい」とか「ねむい」とか書き続けます。大人ぶった理屈で武装するより、「ガキが如く」素直に生きていくほうが、なんだかんだ言って一番面白いのです。